N氏のシャニマス考察

シャニマスプレイ日誌及び考察

七草にちか、初見の所見 〜 描かれた重苦しさに関する考察

 ※当記事には新規コミュのネタバレと、個人の見解が大量に含まれています。閲覧による一切の支障は自己責任でお願いします。

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偉大なる大先輩

...高山、やりやがったな。

 4月5日、我が大学では新学期の始まった日でもあるが、283プロにまた1人のアイドルが加入した日でもある。予告動画を見る限り、どんな明るい子が来るんだろうと、ウキウキルンルンでプロデュースしようとしたが、先にプレイしていた友人たち(僕は夕方まで大学の講義があったのでプレイできなかった)の感想がみんな重苦しいものばかりだったから、決して純粋な気持ちで望めたわけでは無かった。というか、通学時に携帯電話を電車内に落として、そのまま京王多摩センターまで護送されてしまったから、僕はそこまで行かなければならなかったというロスタイムも痛い。いや、これは好機だ、多摩センターはシャニマスの聖地の一つ、なんならばシャニマス世界そのもの!(ホンマか?)、俺は「敢えて」そこで七草にちかを迎える事で「真のシャニマスに近づくのだ!と意気込み(改めて考え直すとホントに意味不明ですね)、新宿駅で目の前にいたKEIO LINERライナー券代410円を叩き乗り込んだ(こういうことしてるから金が貯まんねえんだべ)。そして京王多摩センター駅で落とした携帯を無事回収し、そのまま駅中のマクドへと滑り込んだ。

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聖地パワーを頂きに参上

一通りプレイし、W.I.N.G.優勝を済ませると、なんだか思うことがいっぱい出てきたのでここで整理しつつ消化していこうと思った。結論から言うと、なんだこれは、重苦しいどころの騒ぎではない、もはや救いようのない内容に、僕は、ただ、飲み込まれたのだ。

 

救いようのないのはガシャ結果だけにしてくれよ高山ァ...

 

 だがそこで終われないのが「オレ」ってもんよ、ここでは七草にちかに付き纏う重苦しさについて深掘りしていこうと思う。毎度のことで非常に申し訳ないが、自分の悪文・乱文っぷりには目を瞑っていただきたい。

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不沈Vo空母出動...!

七草にちかに見られる「圧力」の存在について

 七草にちかは、その出会いからW.I.N.G.優勝まで、全編にわたって重苦しい有痛性を含みもっていた。これには少なくともシャニマスにおいて前例がない、つまりいずれのアイドルも、気の休まるとまで確信をもって言えるわけではないが、苦しそうでない時はあった(苦しそうで「ない」という否定形で書かざるを得ないのは、苦でも楽でもない中間的なざまを表現に含んでいたほうがより的確だろうという考慮のうえである)。しかし、七草にちかは終始苦しそうに描かれた。具体的内容としては、彼を密室へ誘い「大声を出すぞ」という脅迫を以って自身を283Pに所属させようと暴力的な手段に打って出たところからコミュは始まるわけだが、(暴力とは殴る蹴るといった武力行使だけにとどまらず、他者の心身や財産に対する無法な破壊力一般のことであることも踏まえて)このように一見人畜無害そうな少女が暴力に訴えるというシーンは、その彼女が何の訳か窮地に立たされていることを示唆するモノである。仮に始めから不良らしい人物が暴力を振るったところでそれは当然だと思われて終いであるが、そうでなさそうな人物(ここでは七草にちか)が暴力を振るえば、それは「無理な要求を何としても通したい」という焦燥の現れとして、その背後に「圧力」が存在すると示す演出なのだ。

 そもそも圧力には、外界から自己にかかるものもあれば、自己自身に"かける“ものもある。より正確に言おうとすれば、自己を「外界にある理想」に近づけるという自己実現への反作用としてかかる力である。プロデュースすれば察せる通り、七草にちかにはこれらの両方があるように描かれている。

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にちかにかかる圧力の図(指で描きました)

具体的には、外界からのものとして「W.I.N.G.で優勝しなければアイドルを引退すること」という姉はづきからの難題と、「アイドルとして八雲なみにならなければならない」というにちか自身のこだわりである。これら2つの圧力の存在が明確に描かれているからこそ、七草にちかの苦悩するざまはプロデューサーたちの脳裏に焼き付くわけである。

 

七草にちかの業<カルマ>について

 七草にちかは自身のアイドル生命をかけて、自身の憧れである八雲なみに「なろう」とする。そして七草にちかにとっては「アイドル=八雲なみ」であり、それ以外のアイドル像を拒絶していることが描かれている(私は本来"="と言う記号を用いることに対してかなり慎重なのだが、七草にちかの場合はあまりにも右辺と左辺が同値という他ないのでここでは敢えて使わさせてもらっている)。この図式をより明示的にするものが、シャニPのもつ「アイドル八雲なみ」という図式である。つまりシャニPには「アイドルとは何たるか」という問いに対して敢えて抽象的な答えをもっていることに対して、七草にちかは「八雲なみ」という具体的どころか一点集中な答えをもっているということが描かれているということである。よって、彼女のもつ図式をより客観的に表そうとすれば「アイドルの頂点=八雲なみ」ということになる。このように「一途」な信念を示すことは、全能でない平凡な存在としての七草にちかにとって(というよりも多くの人間にとって)苦悩をもたらす他ないということを、いくつかの経験を積んだ多くのプロデューサーたちに思い起こさせるものである。ゆえに七草にちかはただひたすら「苦しそう」に、明らかに無理をしていそうに映るわけである。

 

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うぁーお

 そもそも七草にちかに「アイドルの頂点=八雲なみ」(しかも二十数年前のアイドルというかなり特殊な条件付き)という観念を、もはや強迫観念にまで至らせた環境とは一体なんなのかという疑念は、今後出されるだろうコミュや怪文書たちに任せるとして、「アイドルの頂点=八雲なみ」という観念が如何にして七草にちかの心身を苛むのかということを考えてみよう。第一に、苦悩の原因は自己実現への不安であるとされている。つまり「自己実現不可能」を恐れることからである。なぜ不可能性を恐れるかと言われれば、それは自己実現こそが生存条件となっており、それが不可能であるということはすなわち生存不可能ということで、そんな中ではたらくのは自己の生存のための意思(ショーペンハウアー的に表せば<盲目的な生存意思>)による世界からの追放(死)への本能的な恐怖であるということゆえである。だが自己実現の目標を八雲なみのような他者に据えること自体はよくある話である。例えば、イチローみたいな野球選手になりたいとかである。しかし、イチロー以外にも尊敬すべき優秀な選手は他にも多く居るし、何も野球だけが世の中の全てではない、つまり自己実現にはある程度融通が利くということを多くの人々は経験を通じて知っていくわけである。こうして自己実現の道が完全に絶たれることは、その道を変更することで(いわゆる諦めたり代替したりすることで)回避できる。そもそも、憧れの人を目指したり、自己実現を生存条件にしないことだってできるわけである。しかし、最初からそういう機会が無かったり(誰かの手によって無くされたり)、または代替手段を絶たれるような状況下ではどうだろうか。ここで「アイドルの頂点=八雲なみ」という七草にちかの観念が「悪さ」をする、つまりW.I.N.G.敗退によるアイドル世界からの追放を(多少の抑圧はされているが)恐れ、アイドルの頂点を要求された七草にちかは、彼女にとっては八雲なみになる他無くなっていると考えられる。ご存知の通り、自己実現が生存条件になっている状況は非常に危険なものである、と言うのも、もし自己実現に失敗すれば「絶望」する他ないからだ。W.I.N.G.審査・本戦を勝ち進んでいくごとに、周囲のレベルが高まっていくわけだから、それに伴って敗退する危険性も高まっていく。つまりこの不安と恐怖は時間と共に増大していく。

 

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ほんまかいな

 当然かもしれないが人間には苦から解放されたいと願う心があり、七草にちかにもその心があることが所々で示される。しかしその苦からの解放は、自己実現を遠のかせ、延いては自己を死に至らしめるもので、その唯一の打開策は自己実現というカルマからの脱却、つまり自分自身の意思によるアイドル引退でしかないのだが、そのためには今ある自己実現への欲求をなんとかして抑圧せねばならない。七草にちかは何かと「諦める理由」を欲しがる描写がなされるが、これは防衛機制の一つ「合理化」そのものであるとわかる。しかしながら、苦からの解放と死が同一のものであるがために、七草にちかは自身の生存のために「苦しまざるを得ない」状況下に自ら身を置いていることが、コミュを通じて淡々と示されているのである。そういう生き地獄状態の中に投げ込まれているのだから、当然だが、彼女は苦しそうに見える。

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生き地獄ヘヴン状態‼️

  そして最後に、コミュ本編では、神様として崇められる程の八雲なみですら実は不完全な人物であると明かされる。つまり七草にちかの敬愛する「完璧な存在」は虚構だったことが表される。W.I.N.G.優勝を通じて七草にちかの「アイドルの頂点=八雲なみ」観念はその前提から揺らぎ始めるのである。このことが、プロデューサーたちに不安を抱かせる。なぜならば、彼女にとっての自己実現の前提が崩れたならば、彼女に残るものは虚無であり、こういうニヒリズムは自己を破滅に追いやる危険性があると考えられるからである。仮にも厭世主義に走った七草にちかにとっては生そのものが苦痛であるから、その様子を想像するプロデューサー達の心苦しさも甚だしいものになるだろう。

 

 全編を通して七草にちかが嵌っている業<カルマ>がわかりやすく示されているがばかりに、七草にちかは大変苦しそうに映るのである。

七草にちかの今後について

 では七草にちかは今後どうなっていくのだろう?と考えるのは野暮だろう。と言うのも、我々に与えられた情報はまだ限られたものであるし、いくら考えられたってその「考察」は無力なままなのである。だから、私は七草にちかを応援することしかできないし、そこはかえって「応援こそ至高」なのである。コミュ内でもシャニPはそう導き出している通り、これは七草にちかの内面の問題であって、七草にちかにしか解決できないものであるから、我々はそっと見守り、いつか七草にちかが、自分なりの「幸せ」を見つける日が来ることを願うばかりである。そこまでにはいかなる苦労も絶えないだろうが、やがて来ることを信じて、彼女をそれこそ一途に支え続けるのがプロデューサーというものなのかもしれない。

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諦めない、絶対...‼️