シャニマス「背景」考察論考序説
おはようございます。N(π’)(@SSD250GB)といいます。シャニマスの考察を書くのは初めてになります。これからよろしくお願いします。
先日、福丸小糸と市川雛菜のpSSRが同時に実装されたことにはたいそう驚かされましたね。そればかりか、シャニPの容姿について、雛菜の闇について...などなど、様々な意見がそこ彼処で見受けられたのも記憶に新しいと思います。
しかし、そんなことは横目に、この記事では、「【HAPPY-!NG】市川雛菜」の「背景」について述べていきます。そしてそこから伺える託された「意味」を捉えていきます。それも他とは毛色が異なった方法で...
…
と行きたいところだったが、どうやらそれどころじゃなくなっちゃったんだ…その為に必要な準備が何も整ってなかったなんてね。だからすべてを自分で用意する他なかった。これがすごく大変だったんだよ...
- おはようございます。N(π’)(@SSD250GB)といいます。シャニマスの考察を書くのは初めてになります。これからよろしくお願いします。
- 『背景』を語るための†背景†
- シャニマス「背景」を語るための準備
- 【HAPPY-!NG】市川雛菜 背景基礎情報
『背景』を語るための†背景†
コミュ考察とはいかにして行われてきたか(第1,2のコミュ考察)
前置きが長くなりますが、少々お付き合いください。これを書かないと何も始まらないので申し訳ないのですが書かせてください。
シャニマスコミュを考察する方法は普通大きく分けて2通りあるでしょう。「近くで観るか」、「遠くから観るか」の2通りです。「近くで」というモノは皆さんお馴染みの通り、アイドル本人に寄り添う形でそれが進められるものです。そこではコミュ中のアイドルの言動や心情、すなわちアイドルの「内側」を読み取り、それを起点に他アイドルたちの関係や出来事を分析して考察を練り上げます。めぐるの立振る舞いをめぐるの秘められた内面から説明付けようとしたチエルアルコおじさんなどが代表例です。実存主義的アプローチとも言えるでしょうか。
これに対して、「遠くから」というのは、ある集合体の一部としてのアイドルを取り巻く環境やアイドルの各ステータス、すなわちアイドルの「外側」(ある程度「距離」がないと見えませんよね)を読み取り、それを起点に他アイドルたちの関係やアイドルの個性を分析して考察を練り上げます。283プロの特殊性に言及した冬優子怪文書おじさんや、アイドルの学歴を考察したお兄さんなどが代表例です。こちらは構造主義的アプローチと呼べるでしょう。
大抵の場合は、これら2つの手法を使い分けたり、あるいは両方使ったりしてコミュ考察が行われます。しかし、私はもっともっとアイドルを深く理解していきたいし、その気持ちはどのPにも共通して持っていることでしょう。ここで望まれるのが、上記2つとは別の、第3のコミュ考察です。
第3のコミュ考察とは
ここで私は、これらは2つとは違う方法でこのコミュを考察していこうと思います。その方法とは、
「めっちゃ☆遠くから観る」
です。
「☆」ってなんやねん、甘奈気取りか?と思いのあなた。最後まで読んでね☆
「めっちゃ☆」ってどれくらいか?
シャニマス世界全体が見える
くらいです。現実世界も我々が今見ているように見えます。すなわち、
我々が今いる空間を含んでシャニマス世界を考察します。
我々はシャニマス世界に対して「神」の視点を持っています。「神」がこの地球☆上の人間社会を宇宙の外から眺めるように、我々もシャニマス世界をシャニマス世界の外側(我々にとっては現実世界のことですね)から眺めます。
話が壮大すぎてよくわからない?いいえ、これは結構身近なものなんです。小説を読むときに、その小説の作者の生い立ちや性格などを知っておくとより一層その小説が楽しめるし、理解も深まるアレです。
実際、既に第3のコミュ考察「めっちゃ☆遠くから観る」方法は多くのPたちによって実践されています。例えば、冬優子怪文書おじさんは冬優子に「高山Pたちから課せられた使命」を見出そうとしていましたし、果穂の衣装を考察する場合には「高山の思惑」などを考えるものも多いです。よく話題に上がる「Pラブ問題」を語るうえでも、高山Pやシナリオリーダーの存在に言及して見解を述べる様子も見られます。何れにしても、シャニマス世界を現実世界(にいる高山Pたち)を含めて考察するものになっています。
では「めっちゃ☆遠くから観る」、コレをシャニマス背景に当てはめて考えるとどうなるか?そういえば「背景」がテーマでしたね。
そもそもシャニマスの「背景」はどういうものか
先ずは、シャニマスの背景についておさらいしておきましょう。絵が綺麗?でもそれは主観マシマシなのでチョット避けたい...ここでは絵の綺麗さ云々ではなく、そこに描かれているモノたちに注目します。どうでしょうか?
シャニマスの背景にはそれぞれモチーフがあり、それらは大抵の場合「実在するモノ」であると分かるでしょう。もしくはそういう話を他所で見聞きしたことがあるでしょう。すなわち、シャニマスには「聖地」が存在しています。例えば、京王線聖蹟桜ヶ丘駅周辺や神津島などがそうですね。ここで注意しておきたいことは、それらの聖地はあくまで「モチーフ」に留まっているという点です。確認しますが、モチーフとは辞書的には「作品の中心的な材料」「模様の構成単位」のことを指しています。つまり、それらはあくまで背景を構成する部分に留まり、背景全体が聖地そのものを表しているわけではないということです。これは当然のことで、もしそうでなければシャニマスは今頃、京王電鉄や多摩ニュータウンの広告塔と化してしまっているでしょう。
以上のことを踏まえますと、シャニマスの背景は決して「聖地」そっくりとは限りません。多くの場合、
「まぁアソコがモチーフなんだろうなぁ...」
程度の感覚を持たせるような塩梅で背景が構成されています。例えば、「【ふらここのうた】杜野凛世」に登場するブランコは確かに「一ノ宮公園」としてモチーフは定まるのですが、その設置角度が実際と90度異なります。しかしながら我々にはそこがモチーフだとは分かるのです。
凛世ブランコ水没しとるやん... pic.twitter.com/oDiyMFnFQF
— 織日ちひろ◆SSF03 A-21 (@orihi_) 2019年10月12日
もう少し手の込んだ構成の背景も存在します。「【お散歩サンライト】大崎甘奈」覚醒後の背景モチーフは建物の特徴からして「都庁展望台から望んだハイアットリージェンシー東京と小田急第一生命ビル及びその北側を左右反転させたモノ」であると分かるのですが、下を走る道路のレイアウト等が異なっています。
他にも様々な聖地が存在します。詳しくは外部サイトにお任せします。
ここで、シャニマスにおける背景モチーフの扱われ方が分かってきます。具体的に列挙してみると、以下のことが許容されていると思われます。
(モチーフの特徴が損なわれない程度の)
・配置変更
・色変更
・大きさ変更
・左右反転
・モノの追加/削除
・別のモチーフとの合成
何故これらが許容され得るか?
という問いに答えられますでしょうか?
そんなもの、バ〇ナムの勝手でしょ!
と返されて話はここでおしまい...?
というわけにはいかないのが僕の†エゴ†ってやつさ。
では、こちらの問いはどうでしょうか。
何故こういう現象が起こるのか?
次項ではその疑問から垣間見えるシャニマス背景の本質を述べていきます。
シャニマス背景の本質、そして意味の生成へ
背景の基本は第一に
コミュ、そして...
アイドル本人のテーマに合う
ことでしょう。いくら背景が綺麗に仕上げられたとしても、アイドルやコミュのテーマに似合わなければそれまでです。シャニマスの背景は必ずテーマに沿い、それ故にテーマを帯びるわけです。すなわち、
シャニマスの背景には意味が生じています。
背景に意味が生じているというのを我々は意外と簡単に実感できます。想像してみてください、「【柔らかな微笑み】風野灯織」の背景が空色系でなく暖色系だったとしたら。または「【夜夜中ワンダーラスト】田中摩美々」の背景が俯瞰構図でなくアオリ構図だったら。そのコミュの意味が別のものになるかもしれないと思いますでしょうか。ちょうど、言葉の言い回しを変えれば雰囲気が変わるように、ニュアンスが変わるように、これは背景がコミュの文脈中に意味を潜在させているということの現れとして認めざるを得ません。
背景はコミュ文脈の一部であり、やがてこれはアイドルを物語る文脈の一部になっています。
その文脈上にある以上は、そのパラグラフの一種として、背景はテーマを持たされてそこに存在しています。そして我々はそのテーマを背景に持たせる主体を認知せざるを得ません。高山Pのことでしょう?
「許容」という言葉は少し間違いでしたね、背景はそういう風にして定まっていくのでしょう。
第3のコミュ考察の限界
背景をアイドルを物語る文脈として描く主体、それはまぁ絵師さんやシナリオライターの人たち(以下"高山Pたち"と呼ぶ)だということはシャニマスがコンテンツとしてある以上疑いようのないのですが、ここで別の疑問が頭をよぎるわけです。
高山Pたちは本当に背景に「意味を込めている」のか?
創作活動に携わる、もしくはそういった人たちが身近にいる(Twtterとかそうですね)ような人たちにはよく話題になることだと思われますが、
作品の「意味」や「解釈」が、作者の意図しない形で
観衆の間で出来上がる
ことがあります。ロラン・バルト風に言えば作者の死と呼ばれるヤツの一部ですね。詳しくは外部にお任せします。(とても僕では説明しきれない)
(念を押しますと、この考え方にはコンテンツとしてのシャニマスに対する否定的な見解は一切ありません。むしろこの考え方を逆手に取れば、アイドルへの理解をより明快に深められるだろうと期待しているのです。)
第3のコミュ考察「めっちゃ☆遠くから観る」方法では、
背景がシャニマス世界で文脈として意味を持っているというコトをうまく説明できない
という点で限界があるということがわかります。そして、その原因は、「めっちゃ☆遠くから観る」方法の主体が高山Pたちを含めた我々人間であり、その主体性を暗黙のルールとして無条件に認めてしまっていたからだと思われるのです。そこがめっちゃ☆怪レいんですよね。まぁ、第3のコミュ考察には適応限界があって、私は「背景」を考える際にそこに運悪くぶち当たってしまったわけです。ぴぇん。
もう少し説明を加えてみましょう。例えば「Pラブ問題」を扱うときにはこの適応限界に苛まれることは今のところ見受けられません。そこでの高山Pたちは「創造神」のような存在で、シャニマス世界に対して「メタい力<フォース>」を行使できるからです。だから困りません。しかし、「背景」のこととなると、高山Pたちは「創造神」でいられるとは限らなくなってきます。白紙の状態から背景を構築するならば「創造神」で居続けられますが、現実世界をモチーフにしてしまった以上は、高山Pたちも我々と同様に例外なく現実世界に縛られます。ここにおいてはもはや高山Pたちは「創造神」であることもできません。あくまで現実存在の「人間」としてそれらモチーフと向き合わざるを得なくなります。「メタい力」などもちろん存在できません。しかし、第3のコミュ考察はその「メタい力」が必要なのです。すなわち、第3のコミュ考察は「背景」を語る際に力不足でうまく適用できないのです。
ここで、第3のコミュ考察を超える「第4のコミュ考察」への眼差しが生まれます。第4のコミュ考察...その姿とは??
第4のコミュ考察、その前に
当然のことですが、
現実世界にあるものは大抵、
とりわけ人工物ならば何かしら「意味」を孕んでいます。
というかそういう風に我々の身の回りにある物体は人間によって名をつけてられて、秩序立てて社会として構築されています。それに対する人間の認識はほぼ無意識的に形成されます。この辺の詳細は外部に任せます。
我々はその意味空間の中で日々暮らしています。これは高山Pたちも例外ではないし、観衆であるPたちもそうです。そのなかで、現地世界にあるモノAがシャニマス世界にも存在していたら、シャニマス世界の中にあるモノAを見た現実世界の中の我々にはどう映るでしょうか?なぜだか知らないけれども
現実世界にあるモノAのもつ「意味」はシャニマス世界にも継承されています。そういう現象があるんです。言葉不足な私はそれを認めるしかない...
そういった現象はほかにもありますが、すでに前置きが長くなりすぎていますのでそれは割愛します。興味がある人は上にある書籍などを漁ってみてください。とにかく
謎の「メタい力」は我々も受けているんです。
なぜだか知らないけど。
(僕の大好きな音楽ユニット"The Art of Noise"の楽曲に"Metaforce"ってのがあります)
では、その「メタい力」はどこから来るのでしょうか?
シャニマス世界が受ける「メタい力」はもちろん、現実世界から発せられるものです。では我々が受ける「メタい力」は我々よりも高次な世界から発せられるものなのでしょうか?そんなオカルトじみた話は避けるべきでしょう(完全に否定しきれないのが困ったわねえ)
メタい力<フォース>
これだけはわかる、「メタい力」は我々のいる現実世界内を渦巻いているんだって...
シャニマス「背景」を語るための準備
第4のコミュ考察
第1はアイドルの内面を「近くで」
第2はアイドルの周辺を「遠くから」
第3はシャニマス世界を「めっちゃ☆遠くから」
そして、第4のコミュ考察、それは
「めっちゃ☆めっちゃ☆遠くから観る」
AMANAの本気は、ここからだぁ~☆
どういうことだろうか?下の図を基に話をしていく。
そもそも考察とは何だったのか?
考察を考察してみよう(激寒)
考察は「文章」によって行われています。ここがミソだと思うんですよ。考察するとき、みんな怪文書をつくる。怪文書を書かなくても頭の中では「怪文書を作っている....」そのときに必ず「文章」で書いている...つまり「言語」を用いている!
言語をつかうとき、我々は「主体と客体」を意識しています(無意識的にもだよ☆)
図中の矢印は「(主体)→(客体)」を表しているつもりです。矢印だからどこか「力」っぽくもあるね。
想像してほしい、
描かれた矢印に色がついていなかったら...そして矢印がこの図を埋め尽くすまでに無秩序に散らばっていたら...どうなるのでしょうか?
主体と客体の関係(ここでいう矢印)なんでいくらあってもいいんでしょう。現実世界はそうなっているし、シャニマス世界もそうでしょう。というか実際に矢印の数はいくらでも増えていっています!
考察というものは、この無数にある矢印を
うまく分類して、自分の欲しいようにうまく取捨選択する(矢印を見つけ出す)ところから始まっていたのでしょう。そのあとは怪文書に仕上げるゥだけェ^~☆
第1の、第2の…と分けていたのは、実は矢印の起点と終点による分類だったわけです。しかもそれは私が勝手にやりだしたものでもなく、半ば自然に出来上がっていたものでした。ここでも感じるMETAFORCE!!
第4のコミュ考察と「背景」考察
「めっちゃ☆めっちゃ☆遠くから」見ることによって、私は考察自体を考察し、そのうえで自分の好きな考察を書けることができるようになりました。
第4のコミュ考察は、主体と客体を敢えて決めません。分類法も決めません
本当にシャニマス世界ノ内外問わず、混沌から考察を始めます。
だから、その整理の仕方次第では、矢印の終点を我々に向けることができます。正確に言えば、欲しい矢印を見つけ出すことができます。あったんですよソレ!
「背景」を語るときに必要な矢印は、
「現実世界を起点にし、シャニマス世界を経由して、再び現実世界に戻り、そこを終点とするモノ」
だったわけですから、うまく目的の矢印が見つけられて、これでどうやら本格的な考察を始められそうですね。
【HAPPY-!NG】市川雛菜 背景基礎情報
モチーフはどこか
友人氏からの助言と、私のフィールドワークを通じて、以下のことが予想されている。
次の記事では、これらのことについてさらに深く考察を展開していこうとおもっています。
つかれたつかれた。
*1:文春新書