N氏のシャニマス考察

シャニマスプレイ日誌及び考察

七草にちか、初見の所見 〜 描かれた重苦しさに関する考察

 ※当記事には新規コミュのネタバレと、個人の見解が大量に含まれています。閲覧による一切の支障は自己責任でお願いします。

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偉大なる大先輩

...高山、やりやがったな。

 4月5日、我が大学では新学期の始まった日でもあるが、283プロにまた1人のアイドルが加入した日でもある。予告動画を見る限り、どんな明るい子が来るんだろうと、ウキウキルンルンでプロデュースしようとしたが、先にプレイしていた友人たち(僕は夕方まで大学の講義があったのでプレイできなかった)の感想がみんな重苦しいものばかりだったから、決して純粋な気持ちで望めたわけでは無かった。というか、通学時に携帯電話を電車内に落として、そのまま京王多摩センターまで護送されてしまったから、僕はそこまで行かなければならなかったというロスタイムも痛い。いや、これは好機だ、多摩センターはシャニマスの聖地の一つ、なんならばシャニマス世界そのもの!(ホンマか?)、俺は「敢えて」そこで七草にちかを迎える事で「真のシャニマスに近づくのだ!と意気込み(改めて考え直すとホントに意味不明ですね)、新宿駅で目の前にいたKEIO LINERライナー券代410円を叩き乗り込んだ(こういうことしてるから金が貯まんねえんだべ)。そして京王多摩センター駅で落とした携帯を無事回収し、そのまま駅中のマクドへと滑り込んだ。

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聖地パワーを頂きに参上

一通りプレイし、W.I.N.G.優勝を済ませると、なんだか思うことがいっぱい出てきたのでここで整理しつつ消化していこうと思った。結論から言うと、なんだこれは、重苦しいどころの騒ぎではない、もはや救いようのない内容に、僕は、ただ、飲み込まれたのだ。

 

救いようのないのはガシャ結果だけにしてくれよ高山ァ...

 

 だがそこで終われないのが「オレ」ってもんよ、ここでは七草にちかに付き纏う重苦しさについて深掘りしていこうと思う。毎度のことで非常に申し訳ないが、自分の悪文・乱文っぷりには目を瞑っていただきたい。

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不沈Vo空母出動...!

七草にちかに見られる「圧力」の存在について

 七草にちかは、その出会いからW.I.N.G.優勝まで、全編にわたって重苦しい有痛性を含みもっていた。これには少なくともシャニマスにおいて前例がない、つまりいずれのアイドルも、気の休まるとまで確信をもって言えるわけではないが、苦しそうでない時はあった(苦しそうで「ない」という否定形で書かざるを得ないのは、苦でも楽でもない中間的なざまを表現に含んでいたほうがより的確だろうという考慮のうえである)。しかし、七草にちかは終始苦しそうに描かれた。具体的内容としては、彼を密室へ誘い「大声を出すぞ」という脅迫を以って自身を283Pに所属させようと暴力的な手段に打って出たところからコミュは始まるわけだが、(暴力とは殴る蹴るといった武力行使だけにとどまらず、他者の心身や財産に対する無法な破壊力一般のことであることも踏まえて)このように一見人畜無害そうな少女が暴力に訴えるというシーンは、その彼女が何の訳か窮地に立たされていることを示唆するモノである。仮に始めから不良らしい人物が暴力を振るったところでそれは当然だと思われて終いであるが、そうでなさそうな人物(ここでは七草にちか)が暴力を振るえば、それは「無理な要求を何としても通したい」という焦燥の現れとして、その背後に「圧力」が存在すると示す演出なのだ。

 そもそも圧力には、外界から自己にかかるものもあれば、自己自身に"かける“ものもある。より正確に言おうとすれば、自己を「外界にある理想」に近づけるという自己実現への反作用としてかかる力である。プロデュースすれば察せる通り、七草にちかにはこれらの両方があるように描かれている。

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にちかにかかる圧力の図(指で描きました)

具体的には、外界からのものとして「W.I.N.G.で優勝しなければアイドルを引退すること」という姉はづきからの難題と、「アイドルとして八雲なみにならなければならない」というにちか自身のこだわりである。これら2つの圧力の存在が明確に描かれているからこそ、七草にちかの苦悩するざまはプロデューサーたちの脳裏に焼き付くわけである。

 

七草にちかの業<カルマ>について

 七草にちかは自身のアイドル生命をかけて、自身の憧れである八雲なみに「なろう」とする。そして七草にちかにとっては「アイドル=八雲なみ」であり、それ以外のアイドル像を拒絶していることが描かれている(私は本来"="と言う記号を用いることに対してかなり慎重なのだが、七草にちかの場合はあまりにも右辺と左辺が同値という他ないのでここでは敢えて使わさせてもらっている)。この図式をより明示的にするものが、シャニPのもつ「アイドル八雲なみ」という図式である。つまりシャニPには「アイドルとは何たるか」という問いに対して敢えて抽象的な答えをもっていることに対して、七草にちかは「八雲なみ」という具体的どころか一点集中な答えをもっているということが描かれているということである。よって、彼女のもつ図式をより客観的に表そうとすれば「アイドルの頂点=八雲なみ」ということになる。このように「一途」な信念を示すことは、全能でない平凡な存在としての七草にちかにとって(というよりも多くの人間にとって)苦悩をもたらす他ないということを、いくつかの経験を積んだ多くのプロデューサーたちに思い起こさせるものである。ゆえに七草にちかはただひたすら「苦しそう」に、明らかに無理をしていそうに映るわけである。

 

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うぁーお

 そもそも七草にちかに「アイドルの頂点=八雲なみ」(しかも二十数年前のアイドルというかなり特殊な条件付き)という観念を、もはや強迫観念にまで至らせた環境とは一体なんなのかという疑念は、今後出されるだろうコミュや怪文書たちに任せるとして、「アイドルの頂点=八雲なみ」という観念が如何にして七草にちかの心身を苛むのかということを考えてみよう。第一に、苦悩の原因は自己実現への不安であるとされている。つまり「自己実現不可能」を恐れることからである。なぜ不可能性を恐れるかと言われれば、それは自己実現こそが生存条件となっており、それが不可能であるということはすなわち生存不可能ということで、そんな中ではたらくのは自己の生存のための意思(ショーペンハウアー的に表せば<盲目的な生存意思>)による世界からの追放(死)への本能的な恐怖であるということゆえである。だが自己実現の目標を八雲なみのような他者に据えること自体はよくある話である。例えば、イチローみたいな野球選手になりたいとかである。しかし、イチロー以外にも尊敬すべき優秀な選手は他にも多く居るし、何も野球だけが世の中の全てではない、つまり自己実現にはある程度融通が利くということを多くの人々は経験を通じて知っていくわけである。こうして自己実現の道が完全に絶たれることは、その道を変更することで(いわゆる諦めたり代替したりすることで)回避できる。そもそも、憧れの人を目指したり、自己実現を生存条件にしないことだってできるわけである。しかし、最初からそういう機会が無かったり(誰かの手によって無くされたり)、または代替手段を絶たれるような状況下ではどうだろうか。ここで「アイドルの頂点=八雲なみ」という七草にちかの観念が「悪さ」をする、つまりW.I.N.G.敗退によるアイドル世界からの追放を(多少の抑圧はされているが)恐れ、アイドルの頂点を要求された七草にちかは、彼女にとっては八雲なみになる他無くなっていると考えられる。ご存知の通り、自己実現が生存条件になっている状況は非常に危険なものである、と言うのも、もし自己実現に失敗すれば「絶望」する他ないからだ。W.I.N.G.審査・本戦を勝ち進んでいくごとに、周囲のレベルが高まっていくわけだから、それに伴って敗退する危険性も高まっていく。つまりこの不安と恐怖は時間と共に増大していく。

 

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ほんまかいな

 当然かもしれないが人間には苦から解放されたいと願う心があり、七草にちかにもその心があることが所々で示される。しかしその苦からの解放は、自己実現を遠のかせ、延いては自己を死に至らしめるもので、その唯一の打開策は自己実現というカルマからの脱却、つまり自分自身の意思によるアイドル引退でしかないのだが、そのためには今ある自己実現への欲求をなんとかして抑圧せねばならない。七草にちかは何かと「諦める理由」を欲しがる描写がなされるが、これは防衛機制の一つ「合理化」そのものであるとわかる。しかしながら、苦からの解放と死が同一のものであるがために、七草にちかは自身の生存のために「苦しまざるを得ない」状況下に自ら身を置いていることが、コミュを通じて淡々と示されているのである。そういう生き地獄状態の中に投げ込まれているのだから、当然だが、彼女は苦しそうに見える。

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生き地獄ヘヴン状態‼️

  そして最後に、コミュ本編では、神様として崇められる程の八雲なみですら実は不完全な人物であると明かされる。つまり七草にちかの敬愛する「完璧な存在」は虚構だったことが表される。W.I.N.G.優勝を通じて七草にちかの「アイドルの頂点=八雲なみ」観念はその前提から揺らぎ始めるのである。このことが、プロデューサーたちに不安を抱かせる。なぜならば、彼女にとっての自己実現の前提が崩れたならば、彼女に残るものは虚無であり、こういうニヒリズムは自己を破滅に追いやる危険性があると考えられるからである。仮にも厭世主義に走った七草にちかにとっては生そのものが苦痛であるから、その様子を想像するプロデューサー達の心苦しさも甚だしいものになるだろう。

 

 全編を通して七草にちかが嵌っている業<カルマ>がわかりやすく示されているがばかりに、七草にちかは大変苦しそうに映るのである。

七草にちかの今後について

 では七草にちかは今後どうなっていくのだろう?と考えるのは野暮だろう。と言うのも、我々に与えられた情報はまだ限られたものであるし、いくら考えられたってその「考察」は無力なままなのである。だから、私は七草にちかを応援することしかできないし、そこはかえって「応援こそ至高」なのである。コミュ内でもシャニPはそう導き出している通り、これは七草にちかの内面の問題であって、七草にちかにしか解決できないものであるから、我々はそっと見守り、いつか七草にちかが、自分なりの「幸せ」を見つける日が来ることを願うばかりである。そこまでにはいかなる苦労も絶えないだろうが、やがて来ることを信じて、彼女をそれこそ一途に支え続けるのがプロデューサーというものなのかもしれない。

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諦めない、絶対...‼️

 

八王子?徹底考察!~『【HAPPY-!NG】市川雛菜』にて、雛菜とシャニPがいた駅は結局何処なのか?~聖地特定最前線~

こんにちは、N(π')(@SSD250GB)といいます。

先日からのノクチルラッシュにはたいそう驚かされていますね。それでは、早速本題に入りましょう。

 

序論

 前記事にもある通り、シャニマスの背景は現実世界にモチーフがあり、それを突き止めようとする行為がシャニマスを考察する手段の一つになると論じました。

ssd256gb.hatenadiary.com

 この記事では、pSSR「【HAPPY-!NG】市川雛菜」背景のモチーフ、そしてコミュ文脈に沿った聖地特定について論じていこうと思います。

 

 カードイラストについては先行研究によって「八王子駅1,2番線ホーム東京方にあるハニーズバー」であると分かっています。

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このイラストのモチーフは「JR八王子駅1,2番線ホーム東京方」

 https:

 

//twitter.com/tes2093100X2/status/1273917456591904768?s=20

ここで、このイラストが現れる前段階、つまり「演出」部分とこのカードイラストをもういちど確認してみましょう。どうでしょうか?

 

 

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アニメ演出部分

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カードイラスト部分

 

...

 

 

 

なにか違和感を感じませんか?

いや、これは違和感ではなく、れっきとした「違い」です。

何が違うかって?それは...

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架線、そしてその種類・間隔に注目してほしい

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雛菜...ではなくて、架線に注目してほしい

 

 

 

 

 

 

 

 

.......違くないか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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芹沢サンもびっくり

 

あまりぶつくさいっても仕方ありません、話を進めましょう。

両者を比べてわかることは

前者は「ツインシンプルカテナリー式、複線、その間隔は4m程」

後者は「シンプルカテナリー式、複線以上、その間隔は前者に比べてめっちゃ☆広い」

さらに後者のほうではホーム側が非電化ということですね。

これらの明らかな違いがあり、ここから導けることは、

前者と後者でモチーフが違う

ということです。なぜそう言えるのかは前の記事で論じていますのでそちらも参考にしてください。

 

「ツインなんちゃらってなんやねん」「なんで4mやねん」という方々はこちらを参考にするとより理解が深まると思われます。

www.jrtt.go.jp

hosenwiki.com

 後者は「八王子駅」と決まっているわけですが、前者のほうの特定はまだ論じられる機会がなさそうです。これからそれを論じていこうと思います。

 

 

なんでそんな熱心かって?

 

 

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僕は狙われているんだよ。雛菜に...

演出・背景からのアプローチ

導き出される条件

さて、前者...アニメ演出のほうのモチーフを探すわけですが、その演出から導かれる条件があります。

  1. 架線がツインシンプルカテナリー式
  2. 手前からみてホーム向こう側が複線
  3. 本線・副本線上である。
  4. 演出冒頭部に電車が画面左側へ動く様子がある
  5. 背後がやたら広々としている

これを図に表すと、

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導き出される条件 概略図

となるわけです。これら条件を満たす駅を探して絞り出せばいいわけです。

鉄道が発達した日本は広し...といえども、これらの条件は実はとっても厳しいものになり、

候補は2つにまで絞ることができます。

その2つの駅は...

 

 

 

 

 

 

京王線八幡山駅

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JR総武快速線市川駅

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はたしてこのうちどちらがモチーフとなっているのでしょうか

 

 

 

 

その答えを探るべく、私はアマゾンの奥地(東京)へと旅立ったのだった...

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この改札口 初めて使ったよ...

...と考え進めていくと、実は思いがけない†壁†にぶち当たってしまうのです。

モチーフとなった駅は1つではない

次の表をみてください。

  八幡山駅 市川駅
案内表示 ×
背景ビル群 ○  ×
構図 ×
ジュースバー × ×

これは演出で描かれているものとモチーフ候補との関係を表しており、○が「適当(完全でなくていい)」、×が「適当でない」を意味しています。

案内表示に関しては、前記事や先行研究でも挙げられている通り、総武線のものでありました。

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描かれた案内板 バッチリ総武線

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総武線E電区間の案内図 駅ナンバリング導入前だ 文字数もしっかり一致

しかし、駅背後のビル群に関して言えば、市川駅では駅とビル群が近すぎるために、もしくは壁があったりとして演出の様にはなりません。

しかし八幡山駅ではそれが可能です。

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市川駅ではビルが近すぎる

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八幡山駅 ビル群との距離が演出同様に遠い

そして構図に関してですが、これが大変厄介なもので、前記事で述べた第4のコミュ考察を行う必要があります。

 

シャニマス制作陣もこの現実世界においては創造神に足り得ませんので、モチーフを撮影する際にこの世の法則に縛られます。

ここでの場合、

八幡山駅を演出と同じ構図で撮影することは不可能です。なぜならば、防風壁があったり、

そもそもその構図が取れる「お立ち台」が存在していないのです。

テナントビルに不法侵入すれば可能でしょうがコンプラ的にあり得ないでしょう...

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八幡山駅を演出と同じ構図で撮れる場所は無かった...

しかし、市川駅ではそれが可能です。なぜならば、市川駅には快速線とは別に緩行線のホームがあり、そこからならば例の構図が撮影可能だからです。

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市川駅快速線ホームを演出の構図通りに緩行線ホームから撮影可能

ジュースバーに関しては...両者とも無いんですよね...

 

以上の表の説明をしたところで、導かれる結論は

モチーフとなった駅は1つではなく、

八王子駅八幡山駅市川駅

の3つ合わせてのものではないかということです。

いまだ残る謎

だいぶまとまってきたかのように思われますが、肝心の問い、

雛菜とPがいた駅は何処なのか?

にはまだはっきりと結論が出せていません。

描写を頼りにしていけば先述の通り、八王子駅八幡山駅市川駅なのですが

そのうち3つのどれやねん?

という問いが残ります。

Pや雛菜がたとえ常人離れしてようとも、彼らは人間として描かれていますから、3つの駅に同時に存在することなどできません。駅はどれか1つです。

しかしながら描写を頼った考察ではこれ以上進められず、限界があることがわかります。次の一手を打ちましょう。

コミュ文脈からのアプローチ

※ここから先は【HAPPY-!NG】市川雛菜のネタバレをがっつり含みます。閲覧は自己責任でお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

台詞から状況を分析する

コミュ本篇を分析していきましょう。

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ここ一連の会話が鍵となる

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コミュ中の背景は汎用のものです。いろいろあると思いますが気にしないでください。

条件を整理してみましょう

  1. 時間帯は昼過ぎ、放課前。すなわち13~14時台
  2. 仕事のために学校を休んだ
  3. 1,2より、仕事は午前中から昼過ぎにかけて行われた。
  4. 3とコミュ文脈より、雛菜とPは「帰路」についている

実はこの時点で駅が特定できてしまいます。

候補は

JR八王子駅

京王電鉄八幡山駅

JR市川駅

の3つですが、「帰路」という観点からみると

JR八王子駅聖蹟桜ヶ丘にも若葉台にも出られません(京王八王子駅を使いますからね)し、市川駅ならば快速線を使わずに、各駅停車で新宿まで出るか、1つ隣の本八幡駅(もとやわたえき)から京王線直通の都営新宿線を使うことになります(市川市民である私が言うんだ間違いない)。

となると、これら3つの駅の中で、最もコミュ文脈に則した駅は

八幡山駅

となるわけです。

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JRと京王の八王子駅はお互いに離れた位置にある。不適当

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市川駅本八幡駅 やたらと「市川」と「八幡」が出てくるわね

 

ここでもう一歩踏み込んでいきましょう。

 

コミュ内で雛菜とPは電車が暫くやってこないことを話題にしています。

ここでの発言

雛菜「電車、来ないね~?」

P「結構待つな」

これを考察していきましょう。

雛菜は神奈川県出身です。そして多摩市永山在住の浅倉透たちと小学生時代から付き合っていることを考えますと、雛菜は神奈川県川崎市麻生区若葉台駅利用客だと考えられます。(雛菜川崎市麻生区民説は後日改めて考察をしようと思っています。)よって

雛菜の「電車来ない」判定基準は10分超えて待つかどうかだと考えられます。

(小田急多摩線かもしれない?いずれにしても同じ結果っす)

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日中の若葉台駅時刻表 ほぼ10分間隔でパターンダイヤが組まれている

10分を超えて待たされれば、雛菜にとって「電車来ない」判定になるだろう

ここで八幡山駅の時刻表を見てみましょう

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日中の八幡山駅 下り時刻表

 

あれ?

若葉台駅よりも本数多いじゃないか?

やっぱ違うんじゃないの?

全て投げ出してもいいじゃないの

used to be 諦めるのは easy

 

まぁまぁ落ち着いてください。これは京王線になじみがある人なら察しが付くと思うのですが、

 

ここには罠†トリック†が潜んでいます。

 

そのトリックを見抜ければ、ちゃんと八幡山駅がコミュに則していると後で立証できます。

しかし、その罠を説明する前に考えておきたい問題がひとつありますので、そちらを先に片づけたい。

それでもなお残る「謎」

雛菜とPがいた駅は八幡山駅(あとでちゃんと説明します)だと分かったところで、問題がまだひとつあります。

彼らの帰る先は何処なのか?

ということです。具体的には、

事務所 or 雛菜自宅

です。

 

どうせ候補は高々2つなんだから、両パターン調べ上げればいいじゃないか!

というわけで、ここからは忍耐力が試されます。

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全部調べる!?

考えられる「全パターン」徹底考察

チョコっと京王線ダイヤ解説

 笹塚以西の京王線は日中ですら「各駅停車」「快速」区間急行」準特急「特急」の5種別が走っており、路線系統も京王相模原線」「京王高尾線」「京王線と3つあり、20分サイクルでダイヤが織なされています。このままでは説明が煩雑になってしまいますので、八幡山駅に停車する種別「各駅停車」「快速」に絞ってまずは話を進めていきます。

日中において、「各駅停車」は概ね10分に1本(6本/hour)で、「高尾山口行」「京王八王子行」(稀に高幡不動で車両交換)が交互にやってきます。「快速」は20分に1本(3本/hour)で、日中はすべて「本八幡発 橋本行」です。路線図や各種別の停車駅は下の図を確認してください。

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京王電鉄 路線図

日中の八幡山駅下り(八王子方面)のパターンをみましょう

03 快速 橋本

10 各停 高尾山口

18 各停 京王八王子

...

という20分サイクルの繰り返しだと分かりますね。

コミュ中では、Pが

「丁度さっき1本前の電車が出たところみたいだから、結構待つな。」

と発言しています。

つまり、彼らが逃した電車で分類すれば、彼らが何をどれだけ待ったのかがわかります。

さっそくやっていきましょう。

表でまとめたほうが早いわね!

以上のように分析していくと次のような表にまとめられます。この表における数字の単位は[分:min]で、次の電車まで何分待てばいいかを記しています。

逃した電車 事務所へ(聖蹟桜ヶ丘) 雛菜自宅へ(若葉台)  備考
快速橋本行 7 7

次の各停高尾山口行は千歳烏山で後続の区間急行橋本行準特急京王八王子に接続可能、つつじが丘でそれらと待ち合わせ・退避

次の各停高尾山口行に乗ればいい

各停高尾山口 13 13

次の各停京王八王子行はつつじが丘で後続の快速橋本行と待ち合わせ、その快速は調布で特急高尾山口と接続

次の快速橋本行に乗ればいい

各停京王八王子 5 5 次の快速橋本行に乗ればいい

お判りいただけましたでしょうか?

京王線では優等種別の本数が各駅停車に比べて多いために、各駅停車はいたるところで後続の優等に抜かれてしまいます。(快速ですら、この八幡山駅で後続の準特急橋本行に抜かれます)

するとどうでしょう?

 

各駅停車に乗る意味が無くなる場合があるではありませんか!

 

すなわち、

「各駅停車に乗っても仕方がないのでずっと後の快速を待とう」

となる場面が現れ、そのとき

10分を超えて待たされるケースが発生します。

具体的には、

「各停高尾山口行を逃して、次の快速までに13分も待つ」

ケースです。

これは雛菜たちが「電車、来ない」と判断させるのに十分な値でした。

幸いなことに、彼らがこれから帰る場所によってその値が変動することもありませんでした。

 

決定的証拠⁉

彼らが「各停高尾山口行を逃して、次の快速までに13分も待つ」がどうやらコミュに則している、とうかがえる描写が実はコミュ演出中にありました!

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露骨に1本見送る雛菜とP(?)

「雛菜たちは電車を1本見送っている」と捉えられます...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

...ん?

 

 

 

 

 

 

 

 

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おや...この車両は?この帯の色は...?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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うーん?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 京王8000系E217系を足して2で割ったような...

まとめ

以上の考察を踏まえて

『【HAPPY-!NG】市川雛菜』にて雛菜とPがいた駅は何処なのか?この問いに答えるべく考察を進めてきたが、ここまで徹底して分かったことは

という少々ややこしいものになってしまいました。

今後の展望

ここまで考察したことで逆に浮かび上がった問...

 

今までのシャニマス背景の中で、ここまで複雑で入り組んだモチーフ設定をするモノがあったでしょうか?

 

何やらその背後に怪しい影が潜んでいそうです。(これは直観です。)なんかやたらと

「市川」「八幡」「八」といったワードが「連続して」現れますしね。

今後はその問題にメスを入れ、雛菜に託された「意味」を紐解いていこうと考えております。

 つかれたつかれた

シャニマス「背景」考察論考序説


 おはようございます。N(π’)(@SSD250GB)といいます。シャニマスの考察を書くのは初めてになります。これからよろしくお願いします。

 先日、福丸小糸と市川雛菜のpSSRが同時に実装されたことにはたいそう驚かされましたね。そればかりか、シャニPの容姿について、雛菜の闇について...などなど、様々な意見がそこ彼処で見受けられたのも記憶に新しいと思います。

 しかし、そんなことは横目に、この記事では、「【HAPPY-!NG】市川雛菜」の「背景」について述べていきます。そしてそこから伺える託された「意味」を捉えていきます。それも他とは毛色が異なった方法で...

 

 

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ここに写っている案内板は間違いなく総武線のものである

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総武線E電区間の案内図 駅ナンバリング導入前だ 文字数もしっかり一致



 

と行きたいところだったが、どうやらそれどころじゃなくなっちゃったんだ…その為に必要な準備が何も整ってなかったなんてね。だからすべてを自分で用意する他なかった。これがすごく大変だったんだよ...

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『背景』を語るための†背景†

コミュ考察とはいかにして行われてきたか(第1,2のコミュ考察)

 前置きが長くなりますが、少々お付き合いください。これを書かないと何も始まらないので申し訳ないのですが書かせてください。

 

 シャニマスコミュを考察する方法は普通大きく分けて2通りあるでしょう。近くで観るか」「遠くから観るか」の2通りです。「近くで」というモノは皆さんお馴染みの通り、アイドル本人に寄り添う形でそれが進められるものです。そこではコミュ中のアイドルの言動や心情、すなわちアイドルの「内側」を読み取り、それを起点に他アイドルたちの関係や出来事を分析して考察を練り上げます。めぐるの立振る舞いをめぐるの秘められた内面から説明付けようとしたチエルアルコおじさんなどが代表例です。実存主義的アプローチとも言えるでしょうか。

note.com

これに対して、「遠くから」というのは、ある集合体の一部としてのアイドルを取り巻く環境やアイドルの各ステータス、すなわちアイドルの「外側」(ある程度「距離」がないと見えませんよね)を読み取り、それを起点に他アイドルたちの関係やアイドルの個性を分析して考察を練り上げます。283プロの特殊性に言及した冬優子怪文書おじさんや、アイドルの学歴を考察したお兄さんなどが代表例です。こちらは構造主義的アプローチと呼べるでしょう。

her-nia.hatenablog.com

大抵の場合は、これら2つの手法を使い分けたり、あるいは両方使ったりしてコミュ考察が行われます。しかし、私はもっともっとアイドルを深く理解していきたいし、その気持ちはどのPにも共通して持っていることでしょう。ここで望まれるのが、上記2つとは別の、第3のコミュ考察です。

第3のコミュ考察とは

 ここで私は、これらは2つとは違う方法でこのコミュを考察していこうと思います。その方法とは、

「めっちゃ☆遠くから観る」

です。

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「☆」ってなんやねん、甘奈気取りか?と思いのあなた。最後まで読んでね☆

 

 「めっちゃ☆」ってどれくらいか?

シャニマス世界全体が見える

くらいです。現実世界も我々が今見ているように見えます。すなわち、

我々が今いる空間を含んでシャニマス世界を考察します。

我々はシャニマス世界に対して「神」の視点を持っています。「神」がこの地球☆上の人間社会を宇宙の外から眺めるように、我々もシャニマス世界をシャニマス世界の外側(我々にとっては現実世界のことですね)から眺めます。

 話が壮大すぎてよくわからない?いいえ、これは結構身近なものなんです。小説を読むときに、その小説の作者の生い立ちや性格などを知っておくとより一層その小説が楽しめるし、理解も深まるアレです。

 実際、既に第3のコミュ考察「めっちゃ☆遠くから観る」方法は多くのPたちによって実践されています。例えば、冬優子怪文書おじさんは冬優子に「高山Pたちから課せられた使命」を見出そうとしていましたし、果穂の衣装を考察する場合には「高山の思惑」などを考えるものも多いです。よく話題に上がる「Pラブ問題」を語るうえでも、高山Pやシナリオリーダーの存在に言及して見解を述べる様子も見られます。何れにしても、シャニマス世界を現実世界(にいる高山Pたち)を含めて考察するものになっています。

 

では「めっちゃ☆遠くから観る」、コレをシャニマス背景に当てはめて考えるとどうなるか?そういえば「背景」がテーマでしたね。

 そもそもシャニマスの「背景」はどういうものか

 先ずは、シャニマスの背景についておさらいしておきましょう。絵が綺麗?でもそれは主観マシマシなのでチョット避けたい...ここでは絵の綺麗さ云々ではなく、そこに描かれているモノたちに注目します。どうでしょうか?

シャニマスの背景にはそれぞれモチーフがあり、それらは大抵の場合「実在するモノ」であると分かるでしょう。もしくはそういう話を他所で見聞きしたことがあるでしょう。すなわち、シャニマスには「聖地」が存在しています例えば、京王線聖蹟桜ヶ丘駅周辺や神津島などがそうですね。ここで注意しておきたいことは、それらの聖地はあくまで「モチーフ」に留まっているという点です。確認しますが、モチーフとは辞書的には「作品の中心的な材料」「模様の構成単位」のことを指しています。つまり、それらはあくまで背景を構成する部分に留まり、背景全体が聖地そのものを表しているわけではないということです。これは当然のことで、もしそうでなければシャニマスは今頃、京王電鉄多摩ニュータウンの広告塔と化してしまっているでしょう。

 

yakolab.hatenablog.jp

 

 以上のことを踏まえますと、シャニマスの背景は決して「聖地」そっくりとは限りません。多くの場合、

「まぁアソコがモチーフなんだろうなぁ...」

程度の感覚を持たせるような塩梅で背景が構成されています。例えば、「【ふらここのうた】杜野凛世」に登場するブランコは確かに「一ノ宮公園」としてモチーフは定まるのですが、その設置角度が実際と90度異なります。しかしながら我々にはそこがモチーフだとは分かるのです。

 

もう少し手の込んだ構成の背景も存在します。「【お散歩サンライト】大崎甘奈」覚醒後の背景モチーフは建物の特徴からして「都庁展望台から望んだハイアットリージェンシー東京小田急第一生命ビル及びその北側を左右反転させたモノ」であると分かるのですが、下を走る道路のレイアウト等が異なっています。

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【お散歩サンライト】大崎甘奈 画像右下の建物に注目 こんな特徴的な建物はそうない

 

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都庁上空からの鳥観図 建物の形状的にはここがモチーフなのだが…

他にも様々な聖地が存在します。詳しくは外部サイトにお任せします。

yakolab.hatenablog.jp

 ここで、シャニマスにおける背景モチーフの扱われ方が分かってきます。具体的に列挙してみると、以下のことが許容されていると思われます。

 

(モチーフの特徴が損なわれない程度の)

・配置変更

・色変更

・大きさ変更

・左右反転

・モノの追加/削除

・別のモチーフとの合成

 

 何故これらが許容され得るか?

という問いに答えられますでしょうか?

そんなもの、バ〇ナムの勝手でしょ!

と返されて話はここでおしまい...?

 

というわけにはいかないのが僕の†エゴ†ってやつさ。

 

では、こちらの問いはどうでしょうか。

何故こういう現象が起こるのか?

次項ではその疑問から垣間見えるシャニマス背景の本質を述べていきます。

シャニマス背景の本質、そして意味の生成へ

背景の基本は第一に

コミュ、そして...

アイドル本人のテーマに合う

ことでしょう。いくら背景が綺麗に仕上げられたとしても、アイドルやコミュのテーマに似合わなければそれまでです。シャニマスの背景は必ずテーマに沿い、それ故にテーマを帯びるわけです。すなわち、

シャニマスの背景には意味が生じています。

背景に意味が生じているというのを我々は意外と簡単に実感できます。想像してみてください、「【柔らかな微笑み】風野灯織」の背景が空色系でなく暖色系だったとしたら。または「【夜夜中ワンダーラスト】田中摩美々」の背景が俯瞰構図でなくアオリ構図だったら。そのコミュの意味が別のものになるかもしれないと思いますでしょうか。ちょうど、言葉の言い回しを変えれば雰囲気が変わるように、ニュアンスが変わるように、これは背景がコミュの文脈中に意味を潜在させているということの現れとして認めざるを得ません。

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この背景がもし暖色系だったら?

 

背景はコミュ文脈の一部であり、やがてこれはアイドルを物語る文脈の一部になっています。

その文脈上にある以上は、そのパラグラフの一種として、背景はテーマを持たされてそこに存在しています。そして我々はそのテーマを背景に持たせる主体を認知せざるを得ません。高山Pのことでしょう?

「許容」という言葉は少し間違いでしたね、背景はそういう風にして定まっていくのでしょう。

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5人の日常を見せる その為に彼女たちと目線の高さを合わせるものかな

第3のコミュ考察の限界

 背景をアイドルを物語る文脈として描く主体、それはまぁ絵師さんやシナリオライターの人たち(以下"高山Pたち"と呼ぶ)だということはシャニマスがコンテンツとしてある以上疑いようのないのですが、ここで別の疑問が頭をよぎるわけです。

高山Pたちは本当に背景に「意味を込めている」のか?

創作活動に携わる、もしくはそういった人たちが身近にいる(Twtterとかそうですね)ような人たちにはよく話題になることだと思われますが、

作品の「意味」や「解釈」が、作者の意図しない形で

観衆の間で出来上がる

ことがあります。ロラン・バルト風に言えば作者の死と呼ばれるヤツの一部ですね。詳しくは外部にお任せします。(とても僕では説明しきれない)

bijutsutecho.com

(念を押しますと、この考え方にはコンテンツとしてのシャニマスに対する否定的な見解は一切ありません。むしろこの考え方を逆手に取れば、アイドルへの理解をより明快に深められるだろうと期待しているのです。)

 

第3のコミュ考察「めっちゃ☆遠くから観る」方法では、

背景がシャニマス世界で文脈として意味を持っているというコトをうまく説明できない

という点で限界があるということがわかります。そして、その原因は、「めっちゃ☆遠くから観る」方法の主体が高山Pたちを含めた我々人間であり、その主体性を暗黙のルールとして無条件に認めてしまっていたからだと思われるのです。そこがめっちゃ☆怪レいんですよね。まぁ、第3のコミュ考察には適応限界があって、私は「背景」を考える際にそこに運悪くぶち当たってしまったわけです。ぴぇん。

 もう少し説明を加えてみましょう。例えば「Pラブ問題」を扱うときにはこの適応限界に苛まれることは今のところ見受けられません。そこでの高山Pたちは「創造神」のような存在で、シャニマス世界に対して「メタい力<フォース>」を行使できるからです。だから困りません。しかし、「背景」のこととなると、高山Pたちは「創造神」でいられるとは限らなくなってきます。白紙の状態から背景を構築するならば「創造神」で居続けられますが、現実世界をモチーフにしてしまった以上は、高山Pたちも我々と同様に例外なく現実世界に縛られます。ここにおいてはもはや高山Pたちは「創造神」であることもできません。あくまで現実存在の「人間」としてそれらモチーフと向き合わざるを得なくなります。「メタい力」などもちろん存在できません。しかし、第3のコミュ考察はその「メタい力」が必要なのです。すなわち、第3のコミュ考察は「背景」を語る際に力不足でうまく適用できないのです。

ここで、第3のコミュ考察を超える「第4のコミュ考察」への眼差しが生まれます。第4のコミュ考察...その姿とは??

 

第4のコミュ考察、その前に

 

当然のことですが、

現実世界にあるものは大抵、

とりわけ人工物ならば何かしら「意味」を孕んでいます。

というかそういう風に我々の身の回りにある物体は人間によって名をつけてられて、秩序立てて社会として構築されています。それに対する人間の認識はほぼ無意識的に形成されます。この辺の詳細は外部に任せます。

www.amazon.co.jp

 

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 我々はその意味空間の中で日々暮らしています。これは高山Pたちも例外ではないし、観衆であるPたちもそうです。そのなかで、現地世界にあるモノAがシャニマス世界にも存在していたら、シャニマス世界の中にあるモノAを見た現実世界の中の我々にはどう映るでしょうか?なぜだか知らないけれども

現実世界にあるモノAのもつ「意味」はシャニマス世界にも継承されています。そういう現象があるんです。言葉不足な私はそれを認めるしかない...

そういった現象はほかにもありますが、すでに前置きが長くなりすぎていますのでそれは割愛します。興味がある人は上にある書籍などを漁ってみてください。とにかく

謎の「メタい力」は我々も受けているんです。

なぜだか知らないけど。

youtu.be

(僕の大好きな音楽ユニット"The Art of Noise"の楽曲に"Metaforce"ってのがあります)

では、その「メタい力」はどこから来るのでしょうか?

シャニマス世界が受ける「メタい力」はもちろん、現実世界から発せられるものです。では我々が受ける「メタい力」は我々よりも高次な世界から発せられるものなのでしょうか?そんなオカルトじみた話は避けるべきでしょう(完全に否定しきれないのが困ったわねえ)

メタい力<フォース>

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ほんまにわからない

 

これだけはわかる、「メタい力」は我々のいる現実世界内を渦巻いているんだって...

シャニマス「背景」を語るための準備

 第4のコミュ考察

第1はアイドルの内面を「近くで」

第2はアイドルの周辺を「遠くから」

第3はシャニマス世界を「めっちゃ☆遠くから」

そして、第4のコミュ考察、それは

「めっちゃ☆めっちゃ☆遠くから観る」

 

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 AMANAの本気は、ここからだぁ~☆

 

どういうことだろうか?下の図を基に話をしていく。

 

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第4のコミュ考察概念図(自分で描いた)

 そもそも考察とは何だったのか?

 考察を考察してみよう(激寒)

考察は「文章」によって行われています。ここがミソだと思うんですよ。考察するとき、みんな怪文書をつくる。怪文書を書かなくても頭の中では「怪文書を作っている....」そのときに必ず「文章」で書いている...つまり「言語」を用いている!

言語をつかうとき、我々は「主体と客体」を意識しています(無意識的にもだよ☆)

図中の矢印は「(主体)→(客体)」を表しているつもりです。矢印だからどこか「力」っぽくもあるね。

 

想像してほしい、

描かれた矢印に色がついていなかったら...そして矢印がこの図を埋め尽くすまでに無秩序に散らばっていたら...どうなるのでしょうか?

 

主体と客体の関係(ここでいう矢印)なんでいくらあってもいいんでしょう。現実世界はそうなっているし、シャニマス世界もそうでしょう。というか実際に矢印の数はいくらでも増えていっています!

 

考察というものは、この無数にある矢印を

うまく分類して、自分の欲しいようにうまく取捨選択する(矢印を見つけ出す)ところから始まっていたのでしょう。そのあとは怪文書に仕上げるゥだけェ^~☆

第1の、第2の…と分けていたのは、実は矢印の起点と終点による分類だったわけです。しかもそれは私が勝手にやりだしたものでもなく、半ば自然に出来上がっていたものでした。ここでも感じるMETAFORCE!!

 

第4のコミュ考察と「背景」考察

「めっちゃ☆めっちゃ☆遠くから」見ることによって、私は考察自体を考察し、そのうえで自分の好きな考察を書けることができるようになりました。

第4のコミュ考察は、主体と客体を敢えて決めません。分類法も決めません

本当にシャニマス世界ノ内外問わず、混沌から考察を始めます。

だから、その整理の仕方次第では、矢印の終点を我々に向けることができます。正確に言えば、欲しい矢印を見つけ出すことができます。あったんですよソレ!

「背景」を語るときに必要な矢印は、

「現実世界を起点にし、シャニマス世界を経由して、再び現実世界に戻り、そこを終点とするモノ」

だったわけですから、うまく目的の矢印が見つけられて、これでどうやら本格的な考察を始められそうですね。

 

 

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やったぜ

【HAPPY-!NG】市川雛菜 背景基礎情報

モチーフはどこか

友人氏からの助言と、私のフィールドワークを通じて、以下のことが予想されている。

次の記事では、これらのことについてさらに深く考察を展開していこうとおもっています。

つかれたつかれた。

 

*1:文春新書